北海道CGC烏柵舞の森 CGCジャパン創立40年記念森づくり事業のページ

CGC烏柵舞の森 概要

昭和29年9月の洞爺丸台風により、北海道の森林は甚大な被害を蒙りました。豊かな森を形成していた千歳市街近郊も例外ではなく、膨大な風倒木被害が生じました。この跡に懸命な植樹が行われて丁度50年目の平成16年9月、再び台風18号に襲われ人工林の大部分は強風で倒れてしまいました。その時から7年の月日が流れた平成23年、国際森林年である意義深い年に、森を再生する新たな動きが生まれました。
この動きに対して、CGCグループの本部である㈱シジシージャパンが創業40年を記念して支援することを申し出られました。
その結果、石狩森林管理署と事業主体の㈱北海道シジシーが協定を締結し、さらに支援を行う㈱シジシージャパンおよび技術協力を行う北海道森林ボランティア協会が加わり四者覚書を調印し、当基金の直轄事業として新しい森づくり事業が始まりました。

写真提供:石狩森林管理署

洞爺丸台風の被害地から樽前山を望む
昭和29年(1954年)
18号台風で折り重なるように倒れた樹木
平成16年(2004年)

CGC烏柵舞の森 名称の由来

「烏柵舞(ウサクマイ)」は、今回の森づくり事業地の地域名です。
アイヌ語で「川尻に(魚)乾し柵(のある)処」の意味である「オ・サックマ・ナイ」が語源とされており、秋には、このあたり一面で鮭を乾す光景が広がっていたようです。水産資源に恵まれ、古来より集落を営み易かったことが伺えます。
ウサクマイの地名が初めて登場するのは江戸時代末期であり、当地を訪れた蝦夷地探検家の松浦武四郎の記録にあります。
なお烏柵舞は、アイヌ民話「キツネのチャランケ」の舞台ともなっています。

※チャランケとは、アイヌ語で「論議。とことん話し合う。」という意味。
ご自身アイヌ民族であるアイヌ文化研究者の故・萱野 茂さんは、この民話を題材として、童話「アイヌとキツネ」を書いています。

「CGC烏柵舞の森」近くの清流

CGC烏柵舞の森 場所・位置・規模

位置
北海道千歳市近郊にある石狩森林管理署が管轄する国有林です。
新千歳空港から西南西約10キロに位置し、西方に秀峰・樽前山を望む高原状の平坦地です 。
CGC烏柵舞の森地図
規模
22.72ヘクタール(東京ドーム約5個分の面積)形状は下図の通りです。(赤線で囲まれた部分)
針葉樹と広葉樹合計15,000本を植樹する予定。
CGC烏柵舞の森地図

CGC烏柵舞の森 着手前の状況

平成16年の18号台風から7年、雑草が丈高く繁茂しており、シラカバが数多く自生しています。
周囲の自然林はミズナラ等の広葉樹林です。

丈高く繁茂する雑草
数多く自生するシラカバ
周辺自然林の様子
ミズナラの巨木

CGC烏柵舞の森 計画

CGC烏柵舞の森づくりでは、針葉樹や広葉樹の植樹と天然更新(自生して次世代の森林が育つこと)の促進を合わせて行い、多様な樹木が枝を広げた自然林に近い森をつくります。
風に負けない『しなやかな森』を作るために、針葉樹や広葉樹の植樹を行うエリア、腐葉土となる枯れ木を残したエリア、そして天然更新にまかせるエリアを交互につくっていきます。
また、以前のように単一方向にのみ植樹する方法ではなく、地形や自生している樹木に配慮したブロック状・モザイク状の配置を行います。
この森づくりの方法は、平成21年(2009年)から実施している「北海道CGCの森づくり事業」で初めて本格的に採用され、髙い評価を得ています。

森作りのイメージ図
ブロック状・モザイク状の配置(北海道CGCの森)
(平成21年秋撮影・石狩森林管理署提供)

CGC烏柵舞の森 協定書および四者覚書の調印・締結

平成23年9月5日、CGC烏柵舞の森づくり事業の第一歩として、森づくりの協定書調印および四者覚書締結のセレモニーが行われました。
まず最初に、石狩森林管理署の山本哲也署長と、㈱北海道シジシーの横山 清社長が、「社会貢献の森における森林整備活動等に関する協定書」の調印取交しを行い、続いて、㈱シジシージャパンの上田庄三専務、北海道森林ボランティア協会の酒井和彦代表幹事に加わっていただき「『CGC烏柵舞の森』の森林づくり覚書」を四者で締結しました。(※事業の関係は下図ご参照。)

協定書を取り交わす山本署長(右)と横山社長(左)
四者覚書締結後、事業の成功を誓い合い握手
左から、上田専務、横山社長、山本署長、酒井代表幹事

CGC烏柵舞の森づくり事業 関係図